Story - Minako Sushi

ストーリー

ヤシム ウディン(1967-2023)は、勉強のためバングラデシュから東京へ引っ越し、最も熟練した寿司職人の一人として戻ってきました。化学工学に興味のあった若いヤシム青年には日本かアメリカのいずれかに進む選択肢がありましたが、彼は最終的に日本の東京に行くことに決断しました。その後、生活のためにヤシムはバーなどで働き始めました。彼の大学の先生は、レストランで働くことは彼のためになるだろうと言いました。そうすることで人との交流の機会が増え、言語習得に役立つだろうと考えたのです。

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ヤシム ウディン、ミナコ創業者

ヤシムの先生は外食産業に繋がりが深く、彼に東京の優れた料理人達を紹介しました。先生にとっては損失でしたが、ヤシムにとっては大きな得でした。7年後、彼は技を修得し故郷に戻りました。バングラデシュに数日間滞在すると、彼は今度はストックホルムに向かいました。そして、彼はその後二度とバングラデシュには戻ることはありませんでした。2023年の10月、残念ながらヤシムはこの世を去りました。日本の外に住む人々に本当の日本料理を堪能してほしい、それがヤシムが求めたお店の理念でした。ヤシムの夢がこれからも生き続けるために、現在は彼の娘であるカタリ―ナ・ウディンと彼らの親友であるアレキサンダー・ロレンツによってミナコは受け継がれています。

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